日本語での無生物主語
これは技術系文章Advent Calendar 2015 3日目の記事です。
技術関係なく普通に文章を書くときのネタになっている気がする。だがそんなことは気にしていられないなぜなら私はあと15日分余りのネタを考えなければならないのだ!(必死)
英語の無生物主語のように、日本語でも受け身で文章を書くことがある。英語の論文を読んでいると、なんとなくそういう物言いがかっこいいと思えるようになってしまう。こと私に至っては、論文はそういう風に書くものとすら思っていた節がある。格式高い文章をうまくまとめることのできる人ならそれでもいいかもしれない。
日本語で受け身の表現は丁寧語とバッティングするという懸念は、技術系文章には取り越し苦労かもしれないが、その他にもう一つ気をつけたい場面がある。
実験のセッティングや結果について言及するとき、例えば
ラウドスピーカは被験者の頭部中心から半径1mの円周上に30度間隔で配置された。
などと書くといかにも頭良さそうな文章に見えるし悪くないとも思うが、せっかく自分でやったことなのだから、
ラウドスピーカを被験者の頭部中心から半径1mの円周上に30度間隔で配置した。
というように(ここでは都合よく主語を省略して)より事実らしく書いてもよいのではないだろうか。また、
有意水準5%においてこの帰無仮説は棄却される。
ではなく
有意水準5%においてこの帰無仮説を棄却することができる。
のように書くと、著者がなんらかの意志を持ってそう決めたんだということを強調できそうである*1。
ただし、Aを決めるとBも自動的に決まるというようなものについて、Bを主体的に述べたいときには、「BはAによって定められる」と書いてもよさそうである*2。あと受け身の文でよさそうなものといえば周知の事実について言及するときぐらいだろうか。